犬の聖歌

1870年にミズーリ州の弁護士が、愛犬を射殺した隣人を訴えた裁判で弁論したテキスト

この世の中では親友でさえ、あなたを裏切ったり、敵になったりします。
手塩にかけて育て上げた子供たちも、育てた恩を忘れてしまうかも知れません。私たちが信頼する最も身近で親しい人も、信用を翻すかも知れません。金銭は失われるかも知れない。
一番必要としている時に、手元にはないかも知れません。

名声はたった一度の思慮に欠けた行動によって消えてしまうかも知れません。
うまく行っているときの私たちの栄誉に対してひざまずいていた人々は、失敗の暗雲がわたしたちの頭の上を覆ったとたんに、恨めしく石を投げつけてくるかも知れません。

この利己的な世の中で人が手に入れられる、絶対にわがままでなく、決して見捨てず、決して恩知らずでも不誠実でもない友こそ、犬なのです。

陪審員の皆さん、富める時も貧しき時も、健やかなる時も病める時も傍にいてくれるのが、あなたの犬なのです。
寒々しい風が吹き付けても、雪が激しく降っても、飼い主のそばならば冷たい土の上でも眠ることでしょう。

与えるべき食べ物がなくても、手にキスをしてくれることでしょう。
世の中の荒事によって負った傷や腫物を舐めてくれることでしょう。
貧しき飼い主であろうとも、王族であるかのように安眠を守ってくれます。

友が一人残らずあなたを見捨てようとも、犬は見捨てはしません。
富が翼を持って飛び去り、名声が地に堕ちても、犬は天を旅する太陽のように、変わることなくあなたを愛してくれます。

幸運に見放されて、友人も家もない世の果てに追いやられても、忠実な犬は共にあること以外の何も望まず、危険から守り、敵と戦うのです。
すべての終わりが来て、死が飼い主の身を包み冷たい土の下に埋葬されるとき、人々が立ち去った墓には前の足の間に頭を垂れた気高い犬がいます。

彼の眼は悲しみにくれながらも、油断なく注意を払い、
死した飼い主にさえも誠実と真実を捧げているのです。